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東京地方裁判所 平成10年(ワ)1323号 判決 2000年12月08日

原告

安澤晴嘉

右訴訟代理人弁護士

荒木昭彦

被告

財団法人工業所有権協力センター

右代表者理事

齋田信明

右訴訟代理人弁護士

加茂善仁

右訴訟復代理人弁護士

岩﨑通也

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告に対し、被告が原告に対し平成八年四月一日付けでなした原告を化学部門高分子グループサブリーダーの職から罷免するとの処分が無効であることを確認する。

二  被告は、原告に対し、金一四四万円及びこれに対する平成一〇年二月六日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告と期間付きの嘱託員雇用契約を締結しグループサブリーダーであった原告が、グループサブリーダーからの罷免処分の効力を争ってその無効確認及び未払の職務手当差額分の支払を求めるとともに、右罷免処分及びその後被告が原告をグループサブリーダーとする嘱託員雇用契約を締結しなかったことが不法行為に当たるとして、職務手当の差額分相当の損害金及び慰謝料の支払を求める事案である。

一  争いのない事実等

1  被告は、通商産業省・特許庁の指導と産業界の支援の下、工業所有権に関する基盤の整備を促進することを目的として昭和六〇年に設立された財団法人であり、具体的には、特許庁の審査・審判業務への協力事業と半導体集積回路の回路配置利用権に関する事業を主たる業務としている(書証略)。

2  原告は、株式会社クラレ(以下「クラレ」という)の社員であったが、平成元年一一月一日、被告とクラレとの間で締結された出向期間を平成二年三月末日までとする出向協定に基づいて、被告に出向した(書証略)。

被告とクラレは、平成二年四月一日、右出向協定の期間満了に伴い、出向期間を平成三年三月末日までとする覚書を締結し(書証略)、以後一年毎に出向協定を更新し、原告は平成六年二月一五日、クラレを定年退職するまで被告に出向して勤務していた(書証略)。

3  原告は、平成六年二月一六日、クラレを定年退職したのに伴い、被告と期間を平成七年二月一五日までの一年とする嘱託員雇用契約を締結し(書証略)、塑性加工・高分子グループに配属され(書証略)、被告の調査センター化学部門主席部員として業務に従事するようになった。

原告は、平成六年三月一日付けで、化学部門高分子グループに配置換えされるとともに、グループサブリーダーに任用された(書証略)。

4  原告と被告は、右嘱託員雇用契約の期間満了に伴い、平成七年二月一六日、期間を平成八年二月一五日までの一年とする嘱託員雇用契約を締結し(書証略)、さらに同月一六日、期間を同日から平成九年二月一五日までの一年とする嘱託員雇用契約を締結した(書証略)。

原告は、右嘱託員雇用契約期間中である平成八年四月一日付けで、グループサブリーダーの職を罷免された(書証略、以下「本件罷免処分」という)。

5  原告と被告は、平成九年二月一六日、期間を同年三月三一日までとする嘱託員雇用契約を締結し(書証略)、同年四月一日、期間を平成一〇年三月三一日までの一年とする嘱託員雇用契約を締結したが(書証略)、原告は、化学部門高分子グループ主席部員にとどまり、グループサブリーダーには任用されなかった。また、原告は、平成九年四月一日付けで、化学部門塑性加工グループに配置換えされた。

6  原告と被告との嘱託員雇用契約では、賃金として基本給のほか、毎月職務手当が支給されることになっているところ、主席部員の職務手当は、嘱託員規程七条、職員給与規程一〇条二項、職員給与実施細則六条一項四号により月額五万円であり、グループサブリーダーの職務手当は、同様に職員給与実施細則六条一項三号により月額七万円であり(書証略)、原告は、被告から右に従って職務手当の支給を受けている。

7  原告は、平成七年一月一三日、被告内で結成された全労協全国一般東京労働組合被告分会(以下「組合」という)に参加し、組合結成時に書記次長、平成八年三月六日に書記長にそれぞれ就任するなどして、組合の組合活動に従事してきた。

二  主たる争点

1  本件罷免処分の効力

(一) 被告の主張

(1) グループサブリーダーの職は、原告と被告との嘱託員雇用契約の内容をなすものではなく、被告における役職者の任免の問題であり、役職者の任免は使用者の人事権に属する事柄であり、使用者の自由裁量に委ねられている。こうした人事権の行使は裁量権の濫用ないし逸脱がない限り有効であるというべきである。

そして、被告が本件罷免処分を行ったのは次のような理由によるものであるから、裁量権の濫用ないし逸脱はなく、正当な人事権の行使として有効であることは明らかである。

すなわち、被告において、グループサブリーダーは、グループリーダーを補佐し、グループ内の業務を円滑に遂行し得るようグループ内の事務を調整し、グループ員(主席部員)に連絡を行うなどの職務を有しており、主幹や他の主席部員の信頼を得ている者でなければならず、また、グループに対応する特許庁の審査室の信頼をも得ている者でなければならない。ところが、原告は、平成七年九月、公開後Fターム付与業務において、自己の担当する業務について、特許庁の審査担当官に問い合わせをした際に口論となって、特許庁の審査担当官を大声で怒鳴りつけるなどした。また、原告は、平成七年一一月、特許庁の審査担当官から再検索の指示を受けた際、自らの無理解により、独自の見解に固執して、主幹の説得も聞き入れず、再検索報告書を新たに作成するようにとの主幹の指示にも従わなかった。そのほかにも、原告は、検索を行い、平成七年一〇月九日付けで特許庁に納品した検索報告書について、審査官から「再調査の対象となる論理式不備があり、全く役に立ちません」との指摘がなされる、審査官の行った再検索結果及びサーチ手法の指導がフィードバックされるなど、業務遂行態度が不適切であった。さらに、被告は、平成七年中ころ以降、特許庁の高分子審査室から、原告はすぐ感情的になり、審査官とコミュニケーションがうまくとれない、仕事が充分になされないので、高分子担当から外して欲しい旨要望が出されるようになっていた。

被告は、このような原告の業務遂行状況からみて、原告はグループサブリーダーとしての適格性が欠如していると判断したが、新年度に行われる全体の人事計画に合わせて平成八年四月一日付けでの本件罷免処分に至ったものである。

(2) 原告は本件罷免処分が不当労働行為であると主張するが、本件罷免処分の理由は前記(1)のとおりであり、原告が組合の活動に従事し、書記長に就任したことは、なんら本件罷免処分とは関係がない。

また、被告は六〇歳という基準でグループサブリーダーの任免をしているわけでなく、一旦任用された者でもその後の職務遂行状況によって適任でないと被告が判断した場合には実際に罷免しており、原告の主張するグループサブリーダーは六〇歳まで継続して任用されるという慣行などない。

(3) 右のとおり、本件罷免処分は有効であるから、職務手当の未払はない。

(二) 原告の主張

(1) グループサブリーダーの地位は、職務手当として月額七万円の支給を受けるという労働契約の内容となっていたから、グループサブリーダーから罷免し、職務手当を減額することは、労働契約の内容の変更に当たり、契約の一方当事者である使用者がなんらの合理的な理由もなく、自由裁量によりなしうるものではない。

(2) 被告が本件罷免処分の事由として主張するのは平成七年九月ないし一〇月のことであるから、平成八年二月一六日に原告との嘱託員雇用契約を更新する当時は認識していたにもかかわらず、その時なんら問題にせず、期間を一年とする嘱託員雇用契約を締結した以上、それを被告の主張の罷免事由の生じた六か月も後の同年四月一日付けであらためて問題とし、本件罷免処分を行うのは信義則上も許されない。

(3) 被告は本件罷免処分の事由として、<1>特許庁の審査担当官との口論、<2>再検索指示に従わなかったことの二点を挙げるが、いずれも事実を歪曲したものである。

<1>について

原告は、担当審査官に対し、質問をまとめて送付していたが、その回答が度々遅れるため、電話で回答を督促したが、それでもなかなか回答を得られず、強く督促するような口調になったことはあるが、口論となり大声で怒鳴りつけるというようなものではなかったし、強い口調で督促したのも一回だけである。

<2>について

原告は、審査官の再検索指示に疑問を抱いたため、そのことで審査官と話し合いたいと主幹である佐藤勉(以下「佐藤主幹」という)に申し出たところ佐藤主幹がこれを認めなかったことが発端となったものである。審査官の判断には誤りがあったから原告が疑問を抱いたのも当然であった。しかし、原告は、再検索を拒否したわけではなく、実際に再検索をした上、原告が当初作成した報告書に新たに行った調査結果を追記する方法で報告もしている。原告がこのような方法で報告したのは佐藤主幹の指示によるものであり、佐藤主幹から新たな報告書として作成するようにとの指示は受けていない。

(4) 被告は、組合の結成時からその活動を嫌悪する発言があったが、それにとどまらず、組合が求めてきた会議室や掲示板の使用をことごとく拒否し、組合ないし所属組合員宛ての郵便物又は組合関係と思われる差出人からの郵便物の取り次ぎを行わず、組合に無断で返送を続けるなど組合を敵視し、差別的な取扱いをしてきたものである。そして、本件罷免処分は、原告が平成八年三月六日に組合の書記長に就任した直後になされていること、被告においてはグループサブリーダーに任用された者は六〇歳まで継続して任用されるという慣行があることからすると、原告の組合活動を嫌悪して行われたものであることは明らかであり、不当労働行為であるから違法でありかつ無効である。

(5) 右のとおり、本件罷免処分は無効であるところ、原告は、平成八年四月以降職務手当を月額七万円から五万円に減額されたから、被告は原告に対し、平成八年四月以降平成九年二月までの一一か月、毎月二万円の合計二二万円の職務手当の未払分を支払う義務がある。

2  不法行為の成否

(一) 原告の主張

前記1(二)(4)のとおり、本件罷免処分は、不当労働行為に当たり違法であり、その後の嘱託員雇用契約の更新において、被告が原告をグループサブリーダーに任用しなかったのは、右と同一の不当労働行為意思の下に行われたものであり、同様に違法であり、これらは不法行為に当たる。

原告に、その結果、平成九年三月から平成一〇年一月までの一一か月、毎月二万円、合計二二万円の職務手当の支給を受けることができなくなった。また、原告は、被告のこれらの不法行為によって、多大な精神的苦痛を被ったものであり、これを慰謝するには一〇〇万円を下らない。

(二) 被告の主張

平成九年二月一六日付けの嘱託員雇用契約は原告と被告との合意によるものであり、なんら違法となる理由はない。また、前記一(一)のとおり、本件罷免処分は有効である。したがって、本件罷免処分及びその後の嘱託員雇用契約の締結はいずれも不法行為には当たらないから、原告の損害賠償請求は理由がない。

第三当裁判所の判断

一  証拠(略)並びに弁論の全趣旨によれば次の事実が認められ(争いのない事実を含む)、右証拠中これに反する部分は採用しない。

1  被告の概要等

(一) 被告は、通商産業省・特許庁の指導と産業界の支援の下、工業所有権に関する基盤の整備を促進することを目的として、昭和六〇年に設立された財団法人であり、会長、副会長、理事長、専務理事及び常務理事並びにその下に置かれた事務局、調査業務センター、回路配置利用権登録センター及び研究所の四つの組織からなり、職員数は平成一一年四月時点で約七五〇名である。

このうち、調査業務センターは、被告の中で最も多くの職員が属する組織で、事務処理部門と検索業務及びFターム付与業務等を行う機械A部門、機械B部門、化学部門、電気部門に分かれる。これら各部門は特許庁の審査部門にそれぞれ対応して三八のグループに分かれている。

(二) 検索業務及びFターム付与業務を行う各部門にはその業務を統括する部門長、各部門に属するグループにはその長として主幹がそれぞれ配置されている。主幹には、特許庁において長年審査・審判業務に携わり、審査長・審判長として管理職の経験を有するとともに弁理士資格を有する者が配置されている。主幹は、「工業所有権に関する手続等の特例に関する法律」(以下「特例法」という)に基づいて定められた「調査業務規程」に規定する「検索指導者」及び「分類指導者」として検索業務及びFターム付与業務等の指導を行うとともに、グループの業務の管理を行い、必要に応じて自らも検索業務及びFターム業務を行う。そして、各グループには、民間企業出身の技術者である「主席部員」が、主幹の指導の下に検索業務及びFターム付与業務を行っており、その数は平成一一年四月時点で約六三〇名である。主席部員は、各企業において長年研究開発等の技術に係る業務に従事してきた者で、当初は企業からの出向で財団に派遣され(派遣時の平均年齢は約五四歳)、企業を定年退職後、被告と一年ごとに嘱託員雇用契約を締結し、六五歳を上限として被告において引き続き就業できることになっている。一方、特許庁出身の主幹は、特許庁を定年前に退職した者が被告に正規職員として採用され、六〇歳で定年退職することになっている。

(三) 平均的には一八名程度の主席部員で構成されている各グループには、一名の主幹の下に主席部員の中から任用されるグループリーダー一名及びグループサブリーダー一名が置かれている(調査業務センター組織規程(以下「組織規程」という)二条、三条五項)。

グループリーダーは主幹の命を受けてグループの連絡調整を行い、グループサブリーダーはグループリーダーを補佐して右の事務を行う(組織規程五条四項、五項)。

そこで、被告は、グループサブリーダーには主幹や他の主席部員からの信頼を得ている者であるという資質が必要であると考えている。被告の主席部員は約一二〇社もの企業からの出身者であり、しかも元々所属していた企業で長期間勤務してきた経歴を有していることなどから、グループ内の調整は極めて重要である。また、被告は、グループに対応する特許庁の審査室が、グループサブリーダーをグループリーダーとともに、そのグループを円滑に運営するために位置づけられた者と認識していることから、審査室からの信頼も得ている者である必要があると考えている。被告はこのような観点からグループサブリーダーを任用している。

2  原告と被告との嘱託員雇用契約等

原告は、クラレの社員であったところ、平成元年一一月一日、被告とクラレとの間で締結された出向期間を平成二年三月末日までとする出向協定に基づいて、被告に出向し、その後は期間満了に伴い、期間を一年とする出向協定が更新され、平成六年二月一五日、クラレを定年退職するまで被告に出向して勤務したが、クラレを定年退職したのに伴い、被告と期間を平成七年二月一五日までの一年とする嘱託量雇用契約を締結し、塑性加工・高分子グループに配属され、被告の調査センター化学部門主席部員として業務に従事するようになった。そして、原告は、平成六年三月一日付けで、化学部門高分子グループに配置換えされるとともに、グループサブリーダーに任用された。

その後、右嘱託員雇用契約は期間満了に伴い一年ごとに更新され、平成八年二月一六日にも、期間を同日から平成九年二月一五日までの一年とする嘱託員雇用契約が締結された。原告は、右嘱託員雇用契約期間中である平成八年四月一日付けで、グループサブリーダーの職を罷免された。

原告は、被告との間で、平成九年二月一六日、期間を同年三月三一日までとして、同年四月一日、期間を平成一〇年三月三一日までの一年として、それぞれ嘱託員雇用契約を締結したが、化学部門高分子グループ主席部員にとどまり、グループサブリーダーには任用されず、また、平成九年四月一日付けで、化学部門塑性加工グループに配置換えされた。

なお、グループサブリーダーの任免及び配置換えの際にはそれぞれ辞令が交付されている。

3  原告の業務

原告が主席部員として従事していた業務は検索業務及びFターム付与業務である。

特許審査の主なものは、特許出願の内容を理解した後、その特許出願に対し過去に同一又は当該技術分野における通常の知識を有する者(当業者)が容易に思いつく技術が既に存在していたかどうかを膨大な文献(国内外の特許及び非特許文献)を対象に調査し(先行技術調査)、それに基づいてその出願を特許すべきか否かを判断し、結果を出願人に通知するという手順で行われるところ、検索業務とは、先行技術調査の一部を特許庁審査官に代わってコンピュータ検索システムを用いて行うものである。

また、Fターム付与業務とは、特許文献をコンピュータを用いて検索できるようにするために特許文献及び特許出願に対して、それに適した分類(Fターム)を付与する業務である。

4  原告の業務遂行状況等

(一) 原告は、Fターム付与業務について、在宅で勤務を行う外部解析者を指導し、解析結果をチェックするキーパーソンという職務を担っていたことがあり、キーパーソンの職務の一つとして、解析者からの質問をまとめ、それを審査官に送り、回答を得て解析者に伝えるというものがあった。平成七年夏ごろから、原告の質問に対する担当審査官からの回答が遅れることがあったために、原告は、担当審査官に対し、電話で、督促したり、あるいは直接質問をしたりすることがあったが、平成七年九月、一日の間に何回か電話した上、その電話の中でかなり厳しい詰問口調で回答を要求したため、審査担当官は、返答に窮し、最後には沈黙せざるを得なくなるということがあった。

右に関し、佐藤主幹は、原告に対し、今後は直接審査担当官に電話するのではなく、自分に相談するように指示するとともに、当該審査担当官のもとに赴き、原告の態度について謝罪し、原告には直接連絡をとらせないようにして佐藤主幹と審査官との間で相談しながら進めることにした。

なお、原告に関して、このころ以降特許庁の高分子審査室から原告はすぐ感情的になり、審査官とのコミュニケーションがうまくとれないので、高分子担当から外して欲しいとの要望が被告に対し出されており、このことは、平成八年一二月の嘱託員雇用契約更新の面談の際に原告に対しても説明されたことがある。

(二)(1) 原告は、平成七年一一月一〇日、審査担当官から検索手法が不適切であるとする再検索指示案件を三件受取り、そのうち二件については速やかに再検索を行ったが、同月一三日、一件については審査担当官の判断に誤りがあるとして、佐藤主幹に審査担当官と話をしたい旨申し出た。そして、佐藤主幹は、翌一四日、原告と話し合いをした。佐藤主幹としては、審査担当官の判断に誤りはなく、その指示に従うべきとの考えを持っていたことと、原告が審査担当官と直接話をすることは不適切であると考えたことから、原告に対し、自らの考えを説明し、原告の見解を書面で報告すること、再検索を行うことなどを指示したが、原告は全くこれを聞き入れようとしなかった。そして、その後も原告が一向に再検索を行おうとしなかったので、佐藤主幹は、一〇日ほどしてグループリーダーの林一成(以下「林グループリーダー」という)に相談し、林グループリーダーが原告を説得した。原告は、林グループリーダーの説得に応じて平成七年一二月一三日ころ、審査官宛ての報告書及び再検索報告書を提出した。しかし、右再検索報告書は、当初の検索報告書に追記する方法で作成されていたため、佐藤主幹が再検索報告書として新たな用紙に書き直し、原告が提出したものを添付して同年暮れころ事務処理部門に提出し、平成八年一月八日付けで特許庁に納入された。

検索報告書は、審査官用、特許庁調整課用及び調査機関の財団用と感圧紙の三枚セットになっており、そのまま特許庁に納入されることになっており、再検索を行ってその結果を再検索報告書として特許庁に報告する場合には新しい用紙を用いなければならないことになっていた。それは、もとの検索報告書に追記すると、審査担当官が再検索結果に対する財団へのフィードバック情報を記載することができないからであった。

被告は、原告のこのような態度について、特例法に基づいて定められた調査業務規程一〇条二項の「検索指導者及び検索者は、検索業務について特許庁担当者の指示があった場合、その指示に従う」、同規程六条二項の「検索者は、検索指導者から再検索の指示があった場合、その指示に従う」(なお、検索指導者とは具体的には部門長、主幹のことである)に反するものと考えていた。

(2) ところで、右再検索指示案件の対象である「公開特許公報 平二-四三二七七」として出願公開された「特願昭六三-一九三〇二」の出願明細書には、特許出願人が、特許権利範囲のベースとなる技術的範囲として請求する発明の内容として記載しているのは「(特許請求の範囲)1官能基を有するオレフィン系重合体を含有する樹脂層(B)を介して、ポリアミド系重合体を含有する樹脂層(A)とオレフィン系重合体を含有する樹脂層(C)とが、積層一体化されていることを特徴とするホットメルト接着フィルム」というものである(以下「本件出願」という)。

そして、原告は、当初、樹脂層(B)を接着層と解して検索し、報告書を納入したのに対し、審査担当官は、これを誤りであるとし、樹脂層(B)を担体(基材のことで、接着剤を担い、支持するものである)と解して再検索するよう指示をしたもので、要するに樹脂層(B)に対する見解の相違が発端であった。

(3) 特許の審査において、発明の新規性(過去に同一の発明があったかどうか)及び進歩性(容易に想定し得たかどうか)の審理をするに当たっては、特許出願明細書の特許請求の範囲であるその請求項に係る発明を認定することが前提となるが、その認定に当たっては、特許請求の範囲である請求項の記載に基づいてなされなければならないということが特許庁の審査基準に定められており、被告の検索はこれに従って行われている。

そして、本件出願の特許出願明細書には、樹脂層(B)についてこれを接着層であると限定するような記載はなく、右明細書に特許請求の範囲に記載された発明の内容を具現化するための実施例として五例の記載があり、その全体をまとめて「本発明のホットメルト接着フィルムは、種々の方法、例えば、各樹脂層(A)、(B)、(C)のフィルムを接着剤などにより接着させて積層一体化するドライラミネーション法、共押出し法などにより製造することができる」と記載されている。

(4) 本件検索案件については、本願明細書のFターム付与時には、審査担当官が指示した担体の材質に関するFタームは付与、入力されておらず、かえって接着性成分に相当するFタームが入力されている。ただ、Fターム付与は、種々の制約から常に正しいとはいえないことから、主席部員必携の検索マニュアルにおいて、「本願発明の構成の把握は、特許請求の範囲をベースとして行う」、「解析(付与)方法と検索方法は必ずしも同じではない」、「本願に付与されたFタームだけに頼るサーチはサーチ漏れの原因となる」旨明記している。

そして、本件出願は、特許査定となり、産業界等、第三者からの審査が正しくないとする特許異議申立ても、また、特許無効審判請求もなく、特許が成立した。

5  本件罷免処分に至る経緯

(一) 本件罷免処分

被告は、原告の平成七年九月の審査担当官との口論、同年一一月の再検索指示案件に関する対応に加えて特許庁の高分子審査室からの要望があったことなどから、原告にはグループサブリーダーとして適格性がないと判断して罷免することにした。

被告では、毎年二月下旬、次年度の業務計画に沿った主席部員の配置計画を作成し、三月初旬に各グループの主席部員の配置計画を受け、グループリーダー、グループサブリーダーを含む全体の人事(異動)計画を決定し、四月一日付けで発令していた。

そこで、本件罷免処分は、原告の嘱託員雇用契約の更新時期が年度末であって、その時点でグループサブリーダーから罷免することになれば、後任者への影響も出てくることから、次年度の人事計画を実施する一環として行うことにして、平成八年四月一日付けで本件罷免処分に至った。

原告は、このとき同時に化学部門高分子グループから塑性加工グループに配置換えになっている。原告は、クラレに在職していた当時に従事していた業務の経歴からしても塑性加工が得意分野であり、高分子はあまり得意ではないという意識があったので、佐藤主幹から配置換えの打診をされた際、これに応じた。

原告は、本件罷免処分の結果、平成八年四月以降職務手当がグループサブリーダーの七万円から主席部員の五万円に月額二万円の減額となった。

(二) ところで被告において、グループリーダー、グループサブリーダーを罷免された者は、平成七年度一五名、平成八年度一一名(ただし、原告を除く)平成九年度六名、平成一〇年度一三名、平成一一年度二八名であるところ、このうち六〇歳以前に罷免された者は平成四年度から平成一一年度までの間に一四名いる。これら一四名には、被告に出向していた者が出向元に復帰した場合や辞任も含まれているが、検索業務の遅れなど業務上の理由で罷免された者もいる。

6  組合と被告との関係等

(一) 組合は、平成七年一月一三日、結成され、同年三月三〇日、被告に対しその旨通知した。組合の事務所は、設立当初の規約によれば、東京都大田区(以下、略)に置かれていた。

原告は、組合結成時から組合に加入して書記次長に就任し、平成六年三月六日の組合大会では書記長に選出され、組合の中心的なメンバーとして組合活動に従事してきた。

原告も加わり、組合が結成されたのは、原告を含めた組合員には、被告の正規職員と嘱託員との間の待遇に格差があるとの認識に基づくものであり、組合はこうした待遇の改善を目指すことを目的としていた。

(二) 被告は、組合の設立後、組合の要求に従って組合と団体交渉を行ってきているが、団体交渉は、被告内の会議室ではなく、外部に借用した会議室で行っている。そして、組合は、団体交渉を通じて、被告に対し、便宜供与に関する要求として、被告内における組合事務所の設置、郵便物の取り次ぎ、会議室の使用、掲示板の使用などを挙げているが、被告はこれらを被告内の秘密保持の必要性等を理由として認めず、郵便物は差し出し人に返送する措置を採っている。

組合は、これに対し、平成九年七月一七日、被告との合意のないまま、組合事務所を財団内に設置する旨の組合規約の変更を行い、その旨被告に通知した(なお、被告は、右通知に対し、容認できない旨回答している)。また、被告が便宜供与の要求に応じないことを理由として東京都地方労働委員会に対し救済命令の申立てをした。

このほか、被告の役員登記の不備、嘱託員規程の実施細則変更の手続の不備をめぐって、刑事告訴や労働基準監督署への告発問題に発展するなどし、被告としては組合との間に信頼関係が築けないと考えてもいた。

組合結成当時の執行委員長は林グループリーダーであったが、同人は、被告の代表者理事から、「労働組合は信用がおけない」、「労働組合なんていうのは文句ばっかり言って、不平不満分子である」、「帝人(林グループリーダーが被告に出向した当時の出向元である帝人株式会社)からは今後採用しない」などと言われたことがある。

二  本件罷免処分の効力について

1  グループサブリーダーの任免について

グループサブリーダーは、被告の組織規程上役職職員であり(書証略)、その任免には辞令の交付が行われており、原告の場合、任用も本件罷免処分もいずれも嘱託員雇用契約の期間中に行われており(前記一2)、その任免の際に別途雇用契約書等の合意書面を作成してはいない。

このことからすると、原告と被告との雇用契約は主席部員としての嘱託員雇用契約というべきでグループサブリーダーの地位を特定して締結されたものではないというべきである。そして、グループサブリーダーの任免は、被告の組織上の役職職員の任免であるから、被告の人事権の行使として行われることであり、人事権の行使は、基本的に被告の裁量判断に属し、社会通念上著しく妥当性を欠き、権利の濫用に当たると認められない限り違法とはならないものと解されるが、使用者に委ねられた裁量判断を逸脱しているか否かを判断するに当たっては、使用者側における業務上・組織上の必要性の有無及びその程度、能力・適性の欠如等の労働者側における帰責性の有無及びその程度、労働者の受ける不利益の性質及びその程度、当該企業体における運用状況等の事情を総合考慮しなければならない。

2  本件罷免処分の効力について

右1を前提として、本件罷免処分の効力について検討する。

(一) まず、審査担当官との口論の件であるが、原告は激しい詰問口調で一方的に審査担当官に回答を迫り、審査担当官を沈黙させ、後日、佐藤主幹が審査担当官のもとに謝罪に赴き、以後原告に対し、佐藤主幹に相談するよう指示し、直接審査担当官と連絡させないようにしたこと、そのころ以降、高分子審査室から、原告はすぐ感情的になるなどしてうまくコミュニケーションがとれないので高分子グループから外して欲しいと要望がだされていたこと(前記一4(一))からすると、原告が審査担当官と口論の揚げ句大声で怒鳴りつけたかどうかはともかく、原告の審査担当官への対応が不適切であり、そのことを被告が重くみていたことは明らかである。

(二) また、本件出願に関する再検索指示の件であるが、当時三件の再検索指示があり、原告はそのうち二件については速やかに再検索指示に従っていること(前記一4(二)(1))からすると、原告が本件出願に関する再検索指示に疑問を抱いたのであり、徒らに審査官や検索指導者の指示を拒否しようとしたのではないということは推認することができる。そして、原告が樹脂層(B)を接着層と解したことは、本願明細書に接着性成分に相当するFタームが入力され、担体の材質に関するFタームが入力されていないこと(前記一4(二)(4))からすると、正しいかどうかはともかく、あながち理由のないこととはいえない。

しかし、特許の審査は、特許請求の範囲に基づいて行われなければならないところ、本件出願の出願明細書には、樹脂層(B)を接着層と限定する記載はなく(前記一4(二)(3))、その実施例に、各樹脂層を接着剤で接着させて一体化する製造方法の記載があること(前記一4(二)(3))からすると、むしろ、接着層に限定されておらず、担体ではありえないとする根拠もなく、本件出願がその後何ら問題なく特許として成立していること(前記一4(二)(4))も併せ考えれば、原告の当初の検索は、樹脂層(B)を接着層であると限定的に解釈したという意味で、やはり不十分であったというべきであり、担体として再検索するようにとの審査担当官の指示(前記一4(二)(2))自体誤りということはできない。

右によれば、原告は、自説に固執し、正当な理由なく、審査担当官及び佐藤主幹の指示に従わず、速やかに再検索を行わなかったということができるから、このことについて被告が調査業務規程に反するものと判断したのもやむを得ないというべきである。この点に関し、原告の本人尋問や救済命令取消事件における審問調書(書証略)の記載には、審査担当官と話し合って納得できれば、このような問題は生じず、それをしなかった佐藤主幹に問題があったかのような部分がある。しかし、平成七年一一月一四日の原告と佐藤主幹のやりとりに関して、原告は、ほとんど自分が説明し、佐藤主幹は聞くだけで理解していたかどうかもわからないとしており(証拠略)、佐藤主幹が審査担当官の再検索指示を支持する意見を述べたこと(書証略)をまるで無視していたことが窺えるのであって、このような原告の一方的な態度からすれば、佐藤主幹が審査担当官と原告を直接会わせようとしなかったのも理由がないこととはいえないし、原告が審査担当官と話し合ったところで問題が生じなかったともいえない。

なお、原告は、最終的には再検索を行ったが、再検索報告書の作成の方法が通常被告において主席部員が行うべきとされているものとは異なっていたなどの不適切な点もあった(原告は、佐藤主幹の指示によって当初の検索報告書に追記した旨主張し、本人尋問においても同趣旨の供述をするが、右は(書証略)前記一4(二)(1)の再検索報告書作成の際にも新しい用紙を使用しなければならない理由に照らし、採用できない)。

(三) 右の審査担当官や主幹に対する対応からすると、原告は自らの立場に固執し、相手の意見等に柔軟に耳を傾ける姿勢が欠けているといわざるを得ず、グループサブリーダーの職務が主幹の命を受けたグループリーダーが行うグループ内の連絡調整業務を補佐することにあり、しかも多数の企業からの出身者で構成される主席部員間の調整は極めて重要なことであること(前記一1)からすれば、原告にその適格性がないとした被告の判断が不合理であるとはいえない。特に、原告の考えが誤りとはいえないと考えつつも、佐藤主幹の相談に応じて、佐藤主幹と原告との間の調整を図った林グループリーダーの業務遂行状況(前記一4(二)(1))などに照らしても、被告が、原告の右のような態度をして、グループサブリーダーとして適格性を欠くと判断したのもやむを得ないところであるというべきである。また、被告では、過去においても業務上の理由でグループリーダーやグループサブリーダーを罷免するという運用も行ってきている(前記一5(二))。

これらのことからすれば、本件罷免処分によって、原告は職務手当を月額二万円減額されるという不利益を被ることになった(前記一2)ことを考慮してもなお、被告の本件罷免処分がその裁量権を濫用ないし逸脱したものであったとまでいうことはできない。

(四) なお、原告は、本件罷免処分の時期からして、信義則違反である旨主張するが、本件出願に関する再検索結果報告書が特許庁に納入されたのが平成八年一月であったことや、被告が全体の人事計画を実施する一環として平成八年四月一日付けで本件罷免処分を行うことにしたことになんら不合理な点もないことなどからすれば、信義則違反との主張も理由がない。

3  不当労働行為の成否について

前記一6(二)によれば、被告と組合との関係が必ずしも良好ではないことは否定できない。また、原告は、組合の中心的なメンバーとして組合活動に従事し、平成八年三月組合の書記長に就任したところ(前記一6(一))、その翌月に本件罷免処分が行われたもので、その時期が近接している。これらのことからすると、本件罷免処分が組合活動に従事している原告に対する不利益処分、あるいは不当労働行為であるとの疑いが生じる余地もなくはない。

しかし、他方被告も組合と団体交渉は行ってきており(前記一6(二))、組合に所属する職員で原告の他に同様の不利益処分を受けた者も見当たらない(組合結成時の執行委員長であった林一成は、自らの強い希望で平成八年四月にグループリーダーを免じられている(書証略))。また、既に述べたように、原告の業務遂行状況に問題があったことも事実であるし、本件罷免処分と同時に原告は得意分野である塑性加工グループに配置換えされており(前記一5(一))、被告が原告の経歴を考慮してその能力を活かすことを考慮していることも窺える。また、本件罷免処分が行われた時期についても特段不合理ともいえない。さらに、被告においては、過去にも業務遂行上の理由でグループサブリーダーを罷免された例も実際にある(前記一5(二))。

こうしたことに加え、原告の組合活動と本件罷免処分が関連していることを直接裏付ける証拠もないことなども合わせ考えれば、不当労働行為を認めることはできない。

4  したがって、本件罷免処分には、被告の裁量権の濫用ないし逸脱を認めることはできず、正当な人事権の行使の範囲内ということができ、また、不当労働行為にも当たらないから、本件罷免処分は有効である。

三  不法行為の成否について

前記二のとおり、本件罷免処分は有効であり、なんら不法行為を構成しないから、原告と被告の本件罷免処分後の嘱託員雇用契約において、被告が原告をグループサブリーダーに任用しなかったことも不法行為には当たらない。

したがって、原告の被告に対する損害賠償請求も理由がない。

四  以上の次第で、原告の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松井千鶴子)

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